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喪中におけるお年玉「贈る」という行為に込められた配慮と思いやり

年末年始の日本の風景といえば、家族や親戚が一堂に会し、新しい年を祝うにぎやかな場面を思い浮かべる方が多いでしょう。そして、その中心にある習慣のひとつが「お年玉」。子どもたちが目を輝かせて大人から受け取るその瞬間は、幼いころの思い出として、誰もが一度は経験したことがあるのではないでしょうか。

しかし、人生にはどうしても「お祝い」という気持ちになれない年もやってきます。大切な方を亡くし、深い悲しみの中で新年を迎える「喪中」。この時期、私たちは普段の習慣の中にも、一歩立ち止まって考えなければならないことが増えてきます。お年玉も、まさにそのひとつなのです。

そもそもお年玉とは、単なる「お金のやりとり」ではありません。新しい一年の健やかな成長や幸せを願って、子どもたちへ贈る気持ちの象徴。昔は鏡餅などの「お年魂(としだま)」がルーツとされ、時代とともに現在の形に変化してきました。しかし、もともと「お祝い」の意味が強いからこそ、喪中の時にはどうしたらよいのかと、悩む人が多いのです。

私自身も、身近な親族に不幸があった年の年末、幼い姪っ子の目の前でふと手が止まりました。例年なら、華やかなお年玉袋に新札を入れて渡すのが恒例。でも、今年はどうしたらいいのだろう?お祝いの気持ちを控えなければいけないのだろうか?悩みながらも、思い切って年長の親族に相談した経験があります。すると、「気持ちがこもっていれば、形式にとらわれなくてもいいよ」と温かい言葉をかけてもらい、ほっとしたことを今でもよく覚えています。

喪中におけるお年玉――マナーと現実のはざまで

現代社会では、マナーや常識も時代とともに変化しています。かつては「喪中=お祝い事はすべて控える」というのが一般的な考え方でした。お年玉もその例に漏れず、「喪中なのにお年玉なんて非常識」「マナー違反」と言われることも少なくなかったのです。

ですが、最近はお年玉の意味合いも徐々に変わってきています。新年を祝う贈り物というよりも、「子どもたちへの日ごろの感謝」や「成長を願う気持ち」として捉える方が増えてきているようです。その背景には、家族や親戚のつながりが多様化し、従来の「型」だけでは割り切れない現実があるのでしょう。例えば、遠方に住む孫や甥姪への思いや、日常のふとした励ましの気持ちが、お年玉という形で表れることもあります。

それでもやはり、「喪中だからお年玉は渡してもいいのだろうか」と悩む人は多いものです。その理由のひとつが、日本人特有の「相手への配慮」という美徳にあります。自分が良くても、相手にとっては不快な思いをさせてしまうのではないか。そうした不安が、心のどこかにひっかかってしまうのです。

だからこそ、「形式」や「言葉」にさりげなく気を配ることが大切なのだと私は思います。

喪中の時、お年玉を渡す際に大切な“ちょっとした工夫”

まず、一番大切なのは「お祝い」の色をできるだけ薄めること。例えば、紅白の水引がついたお年玉袋や、華美なデザインのものは避けて、無地や控えめな封筒を選びましょう。これだけでも、ずいぶん落ち着いた雰囲気になります。

表書きにも工夫が必要です。「お年玉」という言葉を使わずに、「お小遣い」や「文具代」など、日常的な表現に変える。たったこれだけの違いで、受け取る側の気持ちも、渡す側の気持ちも、ずいぶんと柔らかくなるものです。

言葉がけも同じです。「おめでとう」という祝福の言葉は控えて、「好きなものを買ってね」「これで勉強の道具をそろえてね」といった、ちょっとした思いやりのある一言を添えてみてはいかがでしょうか。

もし、お年玉を渡す相手のご家族が喪中の場合は、「いまは大変な時期だけど、いつでも応援しているよ」という気持ちを込めて、そっと渡すのも良いでしょう。無理に渡さなくても、相手の気持ちを一番に考える。それが何よりも大切なマナーです。

また、ご自身が喪中の場合も、「今年は控えたほうがいいのかな」と悩む方がいらっしゃいますが、必ずしもお年玉を断念する必要はありません。むしろ、子どもたちの成長を静かに応援する気持ちは、形を変えても残しておきたいもの。形式よりも気持ちを大切にする。その姿勢こそが、現代の日本人のあり方なのではないでしょうか。

喪中の新年―心の整え方と人とのつながり

喪中の時期は、ただ「お祝い」を控える期間ではありません。自分自身の心を整え、家族との絆や大切な人への思いをあらためて見つめ直す、そんな時間でもあるのです。

例えば、年賀状のやり取りも控えるのが一般的ですが、その分、直接会った時のさりげない声がけや、手紙、メールなどで静かに思いを伝える人もいます。また、初詣に行く場合も、派手な服装や大きな声は控え、静かに祈る姿勢が望ましいとされています。こうした一つひとつの配慮は、「周りの人の気持ちに寄り添う」日本人の美しさそのものだと思います。

私自身、喪中の年に初詣を控え、家族で静かに家の中で新年を迎えたことがあります。外のにぎやかさとは対照的に、心が落ち着き、亡き人を想いながら新しい年を始めることができました。あの時の静けさ、家族で分かち合った時間は、今も心に残っています。

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