現代社会に生きる私たちは、日々のせわしない人生の中で、この上ないくらいに大切な“時”を経験することがあります。それは、大切な人を見送る、そして思いを込めて餌う「法要」という行事です。
特に「四十九日法要」は、お世を去った方が、この世の城を引き続け、次の世界へと旅立つための最終ステップにあたる、非常に意義深い役割を持つ行事として、日本の伝統文化の中で大切にされてきました。
しかし、現代は日常生活のペースも新しく、会場や人手の調達など、現実的な要因で「家族だけの自宅法要」を選ぶ人も増えてきています。これは法要の本質を見つめ直し、より心のこもった方式を探した結果とも言えましょう。
では、そんな「自宅で行う四十九日法要」について、その意義と準備、進行のポイントを、心をこめて紹介していきます。
「法要」は、卒祭でも記念式でもありません。それは「連続する思い」の表現であり、そして、これまでのお別れを、実感をもって採り入れるための時間なのです。
たとえば、私が父を見送ったとき。多少粗凍さの残るあの夜、ありがとうと言えなかったことが心の重しとなっていました。しかし四十九日の法要で、ゆっくりとその思いを展開し、重ねた言葉の中に父への感謝をおいていけた。その時、はじめて本当の意味で「さようなら」を言えた気がしたのです。
そして自宅で行う場合。このやり方は、ある意味ではよりプライベートで、正しく、家族のスタイルや思いを、その場の雰囲気の中で表現しやすくします。
まず、環境作り。気持ちの切り替えは環境のちから始まります。静かな場所を選び、仕事の意識や電子機器の音に支配されない、そんな一覧で「青い時間」を作りましょう。
仕事の一つ、例えば何を備えるかについても、心をこめた準備をしたいところです。花は、その人の好んだ色や花種を。果物も、どこかで「おいしいな」と言っていたあの食材を。
そして、すべてのことに対して言えるのは、「心」の持ちようです。
家族だけでやるということは、分かちやすさと同時に、進行や準備に関する役割分担も重要になります。誰が読紙をよみ、誰が料理をし、どんなことばを言うのか。それらはすべて「違うけれどみんな正しい」形で、各人が動きます。
法要はあの方への伝言であり、同時に、残された者の心を切り替えるための行事でもあります。
そのためには、「これで良かったのかな」と自問自答するような、そんな時間がひとしく必要です。何も言えなかったことも、何かを言えたような気持ちになれたなら、それだけでも心は少し温かになるものです。
死を迎えても、いのちは続いている。それを心のどこかで知り、明日への一歩を踏み出すための法要でありたい。そのためにも、ゆっくりと自分らしいやり方で、心の隣にあったことを、そのままに言葉にしてみましょう。
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